もてない人。

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吾輩は、傘を持てない人である。

純文学っぽく始めてみたけれど、なんのことはない。
あまりに傘を失くしすぎるので、「これ、いいな!」という傘を買ってもすぐにどこかにやってしまい、気に入りの傘を長く持てない人だという、なんとも小さなことだ。

私は今まで、あらゆる傘をどっかにやってきた。
ローラアシュレイの水色に赤い花柄の傘は、お気に入りだった1本目を失くして、諦めきれず同じものをもう一回買ったのにまた失くしたし、雨の日に電車に傘を置き忘れたりするし、行きは雨だったのに帰りは晴れていたりすると、もういけない。傘は私の手から気づけば忽然と消えている。たぶん異世界転生とかしてるんじゃないかと思う。

よく揶揄される「何もしていないのにパソコンが壊れた」的な言いぐさがあるけれど、私はそういう気持ちがよくわかる。
私に言わせれば、まさに「何もしていないのに傘が手元から消える」のである。

多分、傘を持って家を出たことを、出先で忘れてしまうせいだ。
雨の日になくてはならないものなのに、財布や携帯のはいった鞄ほど重要ではなく、さしていなければ視界から消えてしまう、そんな奥ゆかしい存在、それが傘…。
しかし自分、「視界にはいらないもの=ないもの」にしてしまう特性のせいで、そんな奥ゆかしい存在をないがしろにしがち。
なので最近はもう諦めて、可愛いと思う傘を買ったりしないし、お気に入りの傘もつくらない。
失くすことを前提で、コンビニのビニール傘を買って使っている。
一見コスパが悪いようだし、実際ビニール傘もしょっちゅう失くしたり忘れたりで買い直すので実際コスパが悪いのであるが、1本1000円も2000円もする傘を失くすよりは損害が少ない。根本的な解決には至らないまでも、「傘を失くすまい」と無駄にあがいては失くしていた頃と比べたら心は穏やかだし、お金と物を無駄にする機会を削減できた、と思う。いや、ビニール傘もなくすなよ、という話ではありますが。

これも、ちょっとありえないレベルでの物忘れ特性のある、発達障碍者ライフハックの1つだ。

しかし、しかしである。

本当は私は、お気に入りの傘を手元において、ながい間大事に使うということをやってみたい。
自分はものに執着しがちで、気に入ったもので周囲を固めて安心したい気持ちが強いので、とみにそう思う。

本当は、海月を模した傘や、青い水玉に薔薇を散らした可愛い傘や、柄のところが木製で骨の多い丈夫なコウモリ傘をさして、雨の日を颯爽と過ごしたいのだ。
でも多分、私はそれらを失くしてしまう。
「本当に大事に思っているならなくさない」そんな風に思っている時期が私にもありました。
失くしものが多すぎる自分は、物を大切にできない、大切に思えない人間なんじゃないかとずっと悩んでいたし、自己嫌悪もあった。が、大事に思っていても、なんなら高価なものでも、失くしやすい条件や環境にハマると私は失くしてしまう。根性論や精神論でどうにかなるものじゃない。
だから、そういう特性とうまくやっていったり、困ってしまう特性がでずらい環境を自分で選んでいく必要がある。

傘にとっても自分にとっても、それが一番いい。可愛かったり素敵だったりする傘と自分との距離感は、憧れのままのほうがお互いを傷つけなくてすむ。

だけど、諦めきれない気持ちが心のどこかにまだあって、街中で素敵な傘をさしている人を見かけると「いいな」と思う。
あの人は、なくしてしまう心配なんてなしに、自分の気に入った傘を持てるんだろうか。
ハッと気が付くと、大事にしていたモノが手元から消えている、という経験を何度もして、大事なモノを持つことを諦めたりすることはないんだろうか。

私は自分のお気に入りの、柄が木製だったりする、風で簡単に裏返ったりしない傘を持って、大事に長く使いたい。
その憧れも、それが叶わないことも、小さな小さなことだ。
そういう小さな小さなことが、私の日常にはたくさん散らばっている。

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